3号機の異変は水素爆発ではなかった。福島原発の基本設計を担当した人間は実名でこう語る。「何かもっと重大な事故が起きている。報告されていないか、あるいは正確な事態を把握できていないのかどちらかだ」。実はすでに20人以上が大量被爆、あふれ出す高濃度放射性物質のプール、そして新たな危険が迫る。
データは信用できない
「これは・・・驚いたね」
福島第一原発の基本設計を担当した米GE社の元設計士・菊地洋一氏は食い入るように写真を見つめた。
菊地氏は福島第一原発6号機('79年運転開始)工事の現場監理も務めた、原発建屋建築のプロだ。
「同じ原子炉なのに、壊れ方がほかとまったく違う。3号機だけが熱でグニャグニャに曲がっているでしょう。アメ状に折れ曲がっている。これは、明らかに水素爆発ではありません。何らかの理由で鉄骨を溶かす800度以上の超高熱にさらされ、鉄骨の骨組みが溶けた。水素爆発では、ここまでの事態にはならない。何かもっと重大な事態が起き、それがいまだに報告されていないか、誰も正確に事実を把握していないのでしょう」
3月29日、東京電力が公表した無人撮影機による10枚の写真。3号機は、ひときわ無残な姿をさらけ出していた。
「福島第一の最上階の建屋は、実は非常に軽く簡素な作りなんです。内部で大型のクレーンを動かすため、柱を立てられない。そのため、外壁や天井を軽く作る必要があるんです。壁はプレハブ。天井は折り曲げたブリキの板の上に、軽量コンクリートを打ち、その上から防水シートをかぶせて砂をまいた『砂付きルーフィング』です。
見てください。1号機、4号機は薄い壁や天井が吹き飛んでいますが、鉄骨はほぼ無傷です。水素爆発は、実はプロパンガスなどよりずっと爆発力が小さい。単純な水素爆発であれば、この程度なんです。ところがプルトニウムを含むMOX燃料を使っていた3号機では、大きな熱を発した。この事実とその原因を、まだどこも指摘していません」(菊地氏)
3号機は、3月14日に白煙を上げて爆発、周辺にいた作業員7名を負傷させた。3号機の爆発の威力は凄まじく、隣接するタービン建屋の屋根にまで穴を開けたことが後に分かった。
警察、自衛隊、消防が放水を行ったが、23日には黒い煙が上がった。その原因はいまだに特定されていない。さらに24日には3号機タービン建屋にできた水溜まりから超高濃度の放射線が検出され、作業員2人が被曝して病院に担ぎこまれた。
本誌は、14日から15日にかけて3号機が再臨界寸前の大危機を迎えていたことを報じたが、爆発の状況からも、内部空間が800度を超す高熱に達する異常事態を迎えていたことが明らかになった。
1号機でも炉内の温度が異常に高まり、2号機では圧力抑制室の損傷と放射能漏れが心配されているが、現段階で「手が付けられない」ほど危険な炉は3号機なのである。
しかし、菊地氏も指摘するように東京電力も、原子力安全・保安院も、こうした事実を正確に公表していない。欧米からは、「日本政府や東京電力の発表しているデータは、必ずしも信用できない」という声が上がっている。
実は東京電力でも、原子炉の状態について正確な分析ができていないようだ。3月30日の会見で、勝俣恒久会長は、
「正直に申し上げて、原子炉の状況、格納容器、(使用済み燃料)プールの燃料棒の状況を正確に把握するのが難しい」
と告白した。炉内の圧力、温度などから間接的に推測するほかないのが現状なのだ。原子炉をコントロールするどころか、今後どういう事態に発展するのか東電も政府も確たる見通しを持っていないことが、明らかになった。
前出の菊地氏が、さらに驚くべき話を明かす。
「私が福島第一にGEの設計士として赴任していた時期('70年代末)に、2号機の補修が必要になり、外国人の作業員などを集めて作業を開始したんです。ところが、東京電力には、原子炉工事の実施図面が残されていなかった。GEが担当したのは基本設計で、私はアメリカから送られてきた図面のチェックなどをしたんですが、実際の工事は日本の事情に合わせて実施図面を作る必要があります。それがすでに、残っていなかったんです。
今回の事故で思い出したのは、そのときのことでした。事故への対処が後手後手になったのは、施工時の正確な図面がなかったという事情もあるのではないか」
実際、今回の震災直後に、「津波で原子炉の図面が流され、どこかにコピーが保存されていないか探し回った」という報道があったが、そもそもはじめから、「図面はなかった」というのだ。大阪大学名誉教授の宮崎慶次氏(原子炉工学)は、収束までに長い時間がかかることは避けられないという。
「いまは、とにかくウランそのものが溶け出さないよう、しっかりと冷やさないといけない。しかしその一方で、冷やすために水をかけすぎると汚染された水が漏れ、溢れてくる。そこの競争です。現場の作業員の方は非常に辛いでしょう。
スリーマイル島事故のときは、たしか1年以上はそのままの状態で置いておくしかなかった。あのときには日本の旧原子力研究所やメーカーの方も現地に行って除染作業に参加し、研究している。だから経験はあるんです。そのときの経験を生かして、時間をかけてやるほかない」
スリーマイル島事故では、発生から約16時間後に「残留熱除去系」の装置が動き出し、原子炉冷却に成功したが、それでも1年間放置するほかなかった。
福島第一は、電源が停止してから数日間放置されたため、炉心の溶融(=放射線の放出)はスリーマイルの比ではない。今後電気による冷却装置が復旧しても、少なくとも1年以上は近づくことさえできない。
このまま電源が復旧しなければ、延々と「決死隊」が水をかけ続けるほかない。そうなれば、高濃度放射線汚染水がプール状態になって海に漏れ出したり、空中に撒き散らされ、日本中どころか世界中に飛び散ることになる。水をかけ続けて少しずつ収束すればまだ良いが、さらに「最悪の事態」へと発展する可能性も残されている。
すでにアメリカでも、微量の放射線が検出されたという。水素爆発による建屋破損、周辺地域への放射線漏出につづき、事態は「第3の恐怖」、つまり広域への放射線拡散へと進展した。
チェルノブイリを超える線量
これに対処するのは、東京・内幸町の東京電力本店2階大会議室に設置された「福島原子力発電所事故対策統合本部」である。
常駐するのは、海江田万里経産相(副本部長)、東京電力・勝俣会長、武藤栄副社長(原子力担当)、資源エネルギー庁・安井正也部長、自衛隊、消防の幹部ら150人以上。「原子力復旧班」「情報総務厚生班」などいくつもの班が設置され、それぞれが早朝から断続的に会議を行っている。
「原子力安全・保安院には東大工学部を卒業した原子力の専門家・平岡英治次長がいるが、会見にもまったく姿を現さない。東電の対策本部にいることが多いようですが、陣頭指揮をとっているというわけではないようだ。
資源エネルギー庁の安井部長も京大大学院出身、原子力問題のエキスパートだが、こちらも会見には出てこない。菅直人首相が参与に任命した5名の専門家も、いまのところ取材には応じていません。代わりに事務系の西山英彦審議官や、弁護士出身の枝野幸男官房長官に説明を任せてしまっている。班目春樹原子力安全委員長を除き、原子力問題の専門家がいっさい表に出てきていないんです。国民が不安に思うのも当然でしょう」(全国紙エネルギー問題担当記者)
原子力安全・保安院の専門家らは、問題解決の主導権を政治サイドに奪われ、
「我々は駒だから」
とボヤいてすっかり受け身の姿勢になってしまった。
対策本部には「菅首相の友人」や「有識者」などから様々な「解決案」が持ち込まれ、ひとつひとつその検討を行っている。なかには、東京ドームのような膜ですっぽりと福島第一原発を覆ってしまう案や、ロボットを使う案などが含まれているという。
「原発施設を膜で覆う案は実際に検討され、関係会社に問い合わせをしていますが、実際に施工するために作業員が原発に近づかなければならないし、膜では中性子線などの漏出は遮断できない。あまり現実的な案とは言えないのではないか」(前出・全国紙記者)
当面すぐに実行に移されるのは、無人散水車から水溶性の樹脂を撒き、漏出した放射線が風に乗って拡散するのを抑えるという「消極策」くらいで、画期的なアイデアはいまのところありそうもない。
その間も、現場では作業員たちが必死の放水作業を続けているが、このまま数ヵ月にわたって放射線漏出が続ければ、汚染は当然拡大していく。すでに海外では、漏出量が旧ソ連のチェルノブイリ事故を大きく上回ったという報道も出た。実際、チェルノブイリでは放射線漏出は10日で止まったが、福島第一は2週間を超えた。しかも、チェルノブイリ以上に巨大な炉が、4つ同時に放射線漏れを起こしている。このまま進行すれば、総計でどのくらいの放射線が出るのか、想像もできないほどだ。
それによって海や土壌、水、野菜などの汚染はとめどなく進む。
「現場で指揮をとる吉田昌郎・福島第一原発所長は明るいキャラクターで、ときに大声で本店に意見することもあるなど、官邸からの評価は高い。現場の作業員は皆頑張っています。しかし、めまいなどの症状で入院してしまった清水正孝社長は情けないの一言。もともと資材畑の出身で、こうした厳しい局面はまったく経験してこなかった。早期の社長更迭は確実でしょう」(東電幹部社員)
ドアすら開けられない
混乱を極めている対策本部をよそに、福島第一原発の現場では、東電の社員をはじめとする現場作業員が不眠不休で働いている。
「いま、福島第一にいるのは約480名。東京電力の社員が8割程度で、あとは関電工や運搬会社など、関連会社・協力会社の社員たちです。新潟の柏崎刈羽、青森の東通の両原発からも応援が入っています。福島第一へ行けと言われて、イヤがる社員はいません。厳しい環境で、仲間が頑張っているのに自分だけ抜け出すわけにはいかない。
いったん現場から報告のために本店に戻ってきても、用が済んだらすぐに現場に戻っている。二度、三度と現場に入っている人もたくさんいます。すでに、100ミリシーベルト以上の大量被曝をした社員は20名以上。
40代、50代の管理職が率先して最前線の作業に行っている。高濃度放射線が溜まり、条件が厳しい現場での作業時間は一回10分から15分に限定される。随時交代しながらやっていくほかないんです」(東電技術系社員)
3月11日の地震発生当初、炉内の温度が上がって圧力が異常に高まり、ベント(弁を使って圧力を逃がす)作業が必要になった。これが3月12日午後以降に遅れたことで、国会では「菅首相の視察のあとに時間をずらしたため、水素爆発を招いたのではないか」と追及された。
前出の大阪大学名誉教授・宮崎氏も、
「東京電力は手順を間違えたと思う。最初に電源が落ちたときに、早い段階で非常用バッテリーを使って原子炉のベント弁を開け、圧力を逃がして炉内に水を入れていれば、炉心の温度があれほど一気に上がることはなかった」
と指摘している。
しかし、この東電社員によるとベントが遅れた理由は別にあるという。
「ベントは、全部で5回行っています。ドライベント(炉内の蒸気をそのまま空中に逃がす)が1回、ウェットベント(圧力抑制室を通して逃がす)が4回です。通常なら電気系統を使って遠隔操作で弁を開けることが可能ですが、電気系統が壊れ、手動でやるしかなかった。手動でベントを行うためには数多くの作業員を組織して厳重に防護服を着、炉の側まで近寄って作業する以外にないんです。今回これに当たったのは、福島でもエース級のベテラン作業員だった。
ベントの作業が遅れたのは、このチーム編成や防護服の準備などに時間がかかってしまったためです。規制で許された範囲内の被曝で作業を行うため、手順も綿密に確認する必要がある。結果論として批判されるのは仕方がないと思いますが、電源系が落ちたなかですぐにベントをやれるわけではないんです」
福島第一の作業員たちは、先週号でも報じたように原発1号機から350m離れた「免震重要棟」を拠点とするが、この施設に物資を運ぶのも、簡単ではないという。
「テレビでコメンテーターが、『なぜもっと水や物資、毛布などを運ばないのか』と言っていましたが、免震重要棟のドアを開ける時間が長くなるとその分、放射線が入り込んでくるので、大量の段ボールを運び込むことなど不可能なんです。非常用のご飯を温めるための加熱剤の『ヒートパック』や、缶詰のおかず、カロリーメイト、少量のペットボトルを入れるのが精一杯。
運搬に使用するバス及び作業車は、福島第一からJヴィレッジまでを往復しています。Jヴィレッジから小名浜コールセンターまでは、また別のバス、そこから先も、また乗り換える。被曝が広がるのを避けるため、バスを換えて乗り継ぐ以外にないんです」(別の東電社員)
もう日本に任せておけない
もっとも困っているのは水で、シャワーなどはもちろんなく、当初はトイレを流すための水もなかった。一時免震重要棟で暮らした東電社員はこう話す。
「みんな着の身着のままです。私自身は、9日間同じ作業着、同じ下着でした。ウェットティッシュで身体を拭くなど工夫しています。現在は復旧していますが、はじめトイレを流す水がなかったときは、大変でした。建築現場で使うような移動式のトイレを持ち込んで、小は流しっぱなしにすればいいが、大のほうはどんどん溜まって凄いことになる。だから、溜まったらバキュームカーで吸い込んで、どこかに捨てていました。
作業班によっては夜にミーティングを開き、士気を高めるために気合を入れています。吉田所長が翌日の予定を話し、『明日も頑張ろう』と総括し、必ず最後に『ご安全に』と付け加えるんです。それが慣例になっていました。現場系は打ち合わせのあとユニット所長が一本締めをします」
最前線で働く作業員たちの姿と、右往左往する東京の対策本部の姿はまさに対照的だ。アメリカなど諸外国も、痺れを切らして動きはじめた。
「独自に放射線量を計測していた米軍が防衛省に接触し、事態沈静化に協力を申し出ている。25日には、原子炉に注入する真水を搭載したはしけ船を、福島へ向かわせた。アメリカ政府は、原子力問題の専門家も日本に派遣しています。『もう日本に任せてはおけない』というのがホンネでしょう」(防衛省担当記者)
本誌記者も、28日に小名浜港でアメリカ軍の派遣したはしけ船を目撃した。海上自衛隊の5隻の艦艇に守られるように停泊したはしけ船には、米軍がオーストラリアから購入したという大型ポンプが取り付けられ、そこに燃料の注入が行われていた。
米軍の将兵は小名浜で船を離れ、ここから先は海上自衛隊が福島第一まで曳航するという。はしけ船の上では、作業する白人男性に、日本人の業者が近寄り、通訳を介して設備の使用方法などについて説明を受けていた。
桟橋に居合わせた東電社員は、
「とにかくいまは、やれることはなんでもやっておこう、ということです。我々が逃げ出すわけにはいかないですから」
と厳しい表情で話した。
山口大学監事の坂本紘二氏(前下関市立大学学長)はこう話す。
「各国の専門家が来てアドバイスしてくれているようですが、かつてない事態に、対応が後手後手になってしまっている。仕方がないことですが、とにかくあらゆる叡智と技術に頼って、放射線の封じ込めを行って、終結させてもらいたい。1号機から6号機まで、次々に問題が発生するのはチェルノブイリでもスリーマイルでもなかった事態です。
そもそも原子力は人間の力が及ばない、本質的に〝制御不能〟なものです。そのことを前提に考えなければならなかった」
前述の通り、福島第一の現場では比較的高齢の社員を中心に「被曝しても構わない」という決死の作業がつづく。
しかし、こんなことを数ヵ月も続けていたら、いつか現場の作業員は疲労困憊し、力尽きてしまう。そうなる前に、一刻も早く有効な手を打つしかない。坂本氏の言うとおり、いまほど日本人の叡智と技術が問われているときはない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2408